ひでぶさん
あれは1992年、夏のちょっと前の出来事だった。 知人の紹介で出会った彼女と、その日は初めてのデートだった。私と同い年のその彼女は、青山学院大学を卒業後そのまま同大学に就職したという才女で、しかも日本人とイタリア人のハーフ。
私は会社を退職したばかりでお金もなく、全くの不釣合いだと思ったのだが、知人の勧めで半ば強引に組まれたデートだった。 最初は本当に気乗りしない出会いだったのだが、一日、日比谷公園で彼女と過ごしていくうちに、それは今まで体験したことのないほど楽しい楽しい時間となっていく。。。
「うちにくる?」
夕暮れ時、突然彼女は私にそういった。 もちろん、断る理由など私にあるはずがない。 そのまま私は、彼女の家になだれ込んだ。私の心がどれほど躍ったことだろう。 ソレを見るまでは! ソレは、彼女の部屋の隅に、堂々と鎮座されていた。
「ああ、コレ?親が買ってくれたんだけど、よく使い方がわからなくて」 「キミもMac使ってるんでしょ?使い方教えてよ」
11歳からパソコンを使っていた私だが、Macは高嶺の花だった。そんなモノを、自分が買えるなんて夢にも思っていなかった。 しかしその時、どうしても買わなければいけない理由が、私には出来てしまった。その後、彼女とどんな話をしたのか、大塚から石神井までどうやって帰ったのか、全く覚えていない。ただただ、Macを買って使わなければいけないということだけが、私の心に深く深く刻まれた、一日となった。
それから約3年間、私は彼女と付き合うことになる。私は心から彼女と結婚したいと思っていたが、結局別れてしまうことになったとき、あまりのショックでそれまでの仕事も手につかないようになってしまう。 結局転職を余儀なくされ引越しもしなければいけなくなった時、彼女と付き合う為に必死に手に入れたMac Plusをどうしても一緒に持っていけず、そこの寮長にしばらく預かってもらうことにしたのだが、 数年後、気持ちが落ち着いて引き取りに行ったときには、もうそのMac Plusは捨てられていたのだった。
しばらく私の心から、Macは永遠に忘れたい過去になっていた。もう二度とMacを使うことはないだろうと、思っていた。 しかし、だ。 1996年の秋、 練馬区のコジマ電器でPower Mac 4400/200にDOS/Vカードを刺して、 「Windows95が動きますよ!」などと販売しているのを目にし、 ふざけるな! と思ってしまって以来現在に至るまで、Macユーザーを続けているのである。